眼に見える万物は、すべからく可視光の反射によって捉えられていることは、よく知られていることです。透明なガラスにとってもそれは同じことで、そこにガラスが在ることは、殆どの光を通してしまう素材であっても、僅かな色味や、何かがガラスに反射したり、通して見える向こう側の歪み、さらには表面についたテクスチュアや埃や汚れを見てその存在を知ります。

建築などによく使われる板ガラスを我々「青板(あおいた)」と言います。ほんの少し青みがある板ガラスなのですが、使われる厚みが3〜5mm程度なので、その色味を実際にはそれほど感じません。そんな板ガラスでも、表面と裏面で反射する光が一割程度、透過する光が九割程度と言われています。つまり、一枚の板ガラスに対峙すれば、一割は自分を、九割は向こう側を見ていることになります。こちら側と向こう側の環境が同じであれば、微かに見える自分の向こうに、ガラス越しの風景がほぼ見えることになり、違和感のない説明です。仮に、こちら側が向こう側の十倍も明るければ、向こう側は殆ど見えなくなるわけです。地下鉄のつり革にぶら下がり、逆光気味に沈んだ自分の疲れ顔に辟易とする原因は、ここにあるとも言えるのかもしれません。

そうすると、透明な素材を扱うわれわれは九割を見ることができず、たった一割の反射を頼りに仕事をしなければならないのかというと、そうでもありません。ガラスを突き抜ける光は、空気とは比重の違うガラスに、斜に入射すると、そのまま真っ直ぐにはすすまず、界面から曲がって進むので、透き通っていても、光の曲り具合でその物を捉えることができます。これを光の屈折と呼び、この性質を利用して光学レンズなどが使われています。

写真の作品は光の透過と屈折を意識した作例です。オブジェのなかにある模様は、実際の位置とは若干ずれて、レンズ効果で実寸のほぼ倍の大きさに見えています。オブジェに入射した光は表面で乱反射を繰り返し、中身をぼわあんと明るく浮き立たせ、生き物を彷彿とさせる中心部の模様を強調します。氷やアクリルでは難しい表現方法です。

Photograph, Yutaro Kijima