今回は、ガラスと季節感について触れてみることとします。

1200度もの焔の中から生まれるガラス、その制作の現場も灼熱に曝されます。数量や寸法のかさむ仕事のときは、眼、皮膚、骨身全てが消耗するようです。そんな過酷な環境から生まれても皮肉なもので、ガラスと言えばその透明さと輝きから水や氷を連想し、涼感を呼びます。これは万国共通のイメージで、アジアでもヨーロッパでも、みなさん同じイメージをお持ちのようです。

ガラスに見られる涼感は暑気払いの道具として用いられ、我々の展示販売も春から夏にかけてがピークとなります。こんな話を外国の仲間にしても彼等にはピンと来ません。ガラスが水や氷を連想させる素材で、それが涼やかに見えることには理解を示しますが、それを用いることで涼を得、夏の暮らし向きにまでは結びつきません。展示販売も一般商材と同様でクリスマスあたりがピークになり、夏に重点はないようです。どうやらこの感覚は、日本人だけが持つ季節感のようです。現に日本のガラス作品はこの傾向を背負っているため、爽やかで淡白な作風が多く、その国の文化が作品の素地になっていることが伺えます。

商売重視のうがった見方かもしれませんが、あらゆるものの売れ行きが鈍る「ニッパチ」の夏8月にぶつけられる商品として、デパートなどで古くからガラスがフィーチャーされているという側面もあると思います。猛暑の時期に、風鈴やビアグラスの追作に迫られると、文句も言えずひたすら感謝しつつも本当に。。。です。

ガラスに涼を感じるのは、多彩な季節が移ろう日本に過ごす私たちの独特な感性に由来するのか、はたまた夏に売る物がないデパートの宣伝努力の賜物か、真偽は定かではありません。でも、もう少し真面目に掘り下げてみると、日本と外国ではうつわの楽しみ方に違いはあると思います。料理や飲み物には当然季節感があり、世界中のひとびとがそれぞれの地域文化で楽しんでいますが、うつわも季節にあわせて楽しむのは日本人だけなのではないでしょうか?これは茶湯に起因する和食の文化によるところが大きいようです。料理のみならず、うつわ、さらには部屋や庭にまで季節の演出を求めることで、生活の美しさを作り上げて来た日本人ならではの感覚が、広く深く浸透しているからだと思われます。

冷たくいただくものは、器を通してより涼しげに仕立てたいものです。その感性におおいに迎合し、工房の仕事は、夏の勢いがつく上り坂にピークを迎えます。展示や関連イベントは夏に、雑誌の特集取材なども夏号に掲載されます。そして我らガラス屋は、長い盛夏・初秋を、炎天下で失速したマラソンランナーのように喘ぎながら走り抜けます。

翻って、いまこの季節の硝子工房は、夏の地獄がまるで嘘のように温暖で南国にいるかのようです。悪魔に見えたあの灼熱の肉塊も、まるで万物を暖め安らげる春の日差しを手にするようです。自ずと仕事の精度や歩留りも格段に良くなりますし、適度な消耗も冷えて鈍った身体には良い刺激になります。雪の降り積むなかでの暖かい仕事には、格別の喜びさえ感じられます。

それならば、今こそ夏に向けて質の高い制作をすれば良いのですが、寒いときには暖を求めるようにのんびりと灯りのオブジェを作ってみたり、ついつい。イソップ寓話のように戒めてくれるアリさんもいないので、太ったキリギリスは毎年冬の硝子工房を楽しんでいます。