作品に、切り子でなくカットでもない、「削紋」と称した研磨加工を施した作品をよく作ります。
成型時には水飴のように柔らかいガラスも、一度冷めてしまえば石ほどに固いものになってしまいます。それに加工を施そうと思ったら削るのがいちばん安定した方法です、というか削るしかありません。

吹いて作ったものをわざわざ後加工する目的は、まず第一義的には、座りをよくするなどの用途/機能上必要な調整と、反射や陰影を生かした造形の変化や模様を持たせるための加工があります。前者はガラスの底面がスパッと平面に仕上がっていて、おくと微動だにしないもので、後者はカットや切り子、私「削紋」の表現もそれにあたります。削り方も、平面研磨、丸く抉るような研磨や、切り子によくある直線的な研磨など、いろいろです。

研磨の手順は、いずれも地道なものです。専用のグラインダーや研磨盤などの大型機械を使って、サンドペーパーで言う#80から#800相当の粗目から細目まで切削し、そのあと複数の艶出し工程を経ます。一個にかかる時間は、吹いて造形するより長くかかる場合がほとんどです。また、工芸分野の仕事ではありますが、いろいろな特殊機械を駆使し騒音や削れたガラス粉が飛び散るなかで作業するので、だいぶ工業的な雰囲気が感じられる作業でもあります。

ふわっと膨らました曖昧で優しいかたちを、強面な機械を使って指先に体重を乗せるようにして力を込めて削り取る作業には、かたちを無理矢理締め上げるような、ちょっとサディスティックなニュアンスさえあります。また、硬く透き通ったガラスをジャーリジャーリと削り、さらに艶出しまでしていると、まるで不可能なことを可能にしているような変な達成感も帯びて来ます。

夜間や早朝の長い時間、機械と対峙してガラスをけずる仕事は、昼間吹き場で踊るようにして素早く仕上げる吹きガラスと比べると、静と動、緩と急の対比が成り立ちます。この二つの場面を行ったり来たりするのが好きです。そして私は、艶が出る一歩手前の半透明の仕上げが好きです。光を通し放つ輝くガラスより、向こう側が見えそうで見えない、底に光を湛えるようなガラスを作りたいと思っています。